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私のバイオリン製作遍歴(その2)

 私が50歳になった時、バイオリン演奏を習おうと思った。60歳からでは遅すぎると感じたからだ。最初から製作をしようと思ったわけではない。
 バイオリンを習っている過程で、様々な本を読んでいるうちに、製作もしてみようという気持ちになったのだろうと思う。300年近くになろうというのに、ストラディバリウスを超える楽器はないとか、ニスに秘密があるようだが、解明されていないとかである。
 最初の頃、読んだ本は佐々木庸一氏の「魔のヴァイオリン」「ヴァイオリンの魅力と謎」などである。バイオリンの練習を習いながら、会社の出張もあったので、バイオリン製作の工房を訪れるようになった。最初の頃は大阪府の高槻市にあった岩井孝夫氏の工房である。(私自身、のちに大阪の本社に転勤もした。)後に氏は関西弦楽器製作者協会を立ち上げ、初代会長に就任した。
岩井工房より、何枚かの製作に使う板を購入した。また、その後、5万円近くした「バイオリン製作全集」の動画を購入したので、製作の願望もあったのだろう。後でわかったことだが、日本バイオリン製作研究会の菊田浩氏がクレモナに渡る前に、このビデオで勉強していたことを知った。同じく入会予定の栗林守夫氏も同じビデオを購入して勉強していた。
 私自身、現在、日本バイオリン製作研究会会員に属しているが、後で調べていたら、2004年第2回作品展示会に
行っていた。その時のプログラムが残っていた。
 現代のバイオリン製作者を知ったのは、バイオリンをヤマハ音楽教室で習い始めて、半年後ぐらいでイタリア人製作者の楽器を購入した時である。横浜の長峯五幸氏より、
その頃の作家プロフィールを載せた小冊誌をいただいた時である。(続く)
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私がバイオリン製作を始めた頃(1)

自分を東洋占星術で見ると、運命の主たる宿命は祖霊を祭る宗教的な星である。だが、小学校の文集には、レオナルド・ダ・ビンチのような画家になりたいと書いた記憶がある。高校・大学と美術部に属し、絵を勉強していた。大学では、教育学部に潜り込んで、石膏デッサンなどしていた。
就職しても、大阪の茨木市で1年は美術研究所に通っていた。
  しかし、運命の赴くままに、宗教に出会い、長い宗教遍歴をすることになる。では、なぜ音楽にいそしむようになったのだろうか?50才になった頃、5千円の安いバイオリンを入手する機会に恵まれた。60才からでは遅すぎるだろうと思い、50才からヤマハ音楽教室に通い始めた。
           
 なぜ、音楽を始めたのだろうか?若い頃は美術をやろうと思っていたが、音楽はとても、難しいだろうと考えていたので、触れなかった。實はその2~3年前に自分の持っている星の差し替えの宗教的機会を受けていた。多分、その時に音楽の星を授かったのだろうと考えている。
 名古屋に移住してから、無料のコンサートを聞く機会に恵まれたこともおおいに影響があっただろう。愛知県に転勤した頃に、レナード・バーンスタインのニューヨーク・フィルとムラビンスキーのレニングラード・フィルは聞いたことがあるので、音楽鑑賞は好きだった。

 バイオリンを練習するようになると、いろいろな本を読んでいると、当然ストラディバリウスの再現は出来ていない。
その秘密はニスにあるらしいという説に触れることになる。そのニスはまだ解明されていないらしい事を知る。
 邪馬台国論争のように、専門家も素人もその場所がどこかについて論争に参加できるように、ニス論争に参加したくなったのだろう。60才になってから、本格的にその製作を東京の代官山音楽院の日曜クラスに入学して、学び始めた
(続く)。

バイオリン学校の新設

syosarta2014

ヴァイオリン製作学校たくみ https://t.co/8LIqfWaoEV
05-01 07:46

ジノ・フランチェスカッティの名演奏ーヴィターリ「シャコンヌ」

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ジノ・フランチェカッティのヴィターリの「シャコンヌ」です。提供はUltimateviolinのYoutubeです。https://t.co/apmJNG3PbI https://t.co/6KEccLiCQI
11-23 11:10

漆原啓子のヴィターリの「シャコンヌ」

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ヴィターリの「シャコンヌ」です。kazenocrystal提供です。 https://t.co/6nU9pmGyT7
10-21 21:46

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