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バイオリン演奏の復活練習と製作

バイオリン練習再開
 バイオリンの製作を始めたり、副業でアフィリエイトにトライしたりして
いたので、バイオリンの練習はほとんどせず、数年間あまり楽器に
触れることはなかった。先生のコンサートには聞きに行っていたが、
合奏にさそわれても、参加することはなかった。
 厳密には、一度だけ参加したが、まともに弾けず、恥をかいただけだった。

製作は続けていたが、あまり弾くことはなかった。副業も金を使うだけで
うまくいかず、最後にFXのスクールに入り、そこで自分に合わないトレード
では勝てないとのことで、性格は何かが問われることになった。
 やはり、トレードよりも、バイオリンを演奏したり、製作する方が好き
だと改めて気づいた。数年ぶりに、再開することにした。

 現在、バイオリンの練習をする際、まずスケール(音階練習)が最も良い
ことは、ハイフェッツの言葉より、学んでいた。私が学んだのは、小野アンナ
のものだった。ハ長調から始まっていくのだが、♭は3つまで、#は4つまで
練習することにした。プロではないのだから、(カール・フレッシュは勿論、)
使わず、あまり弾くことのない調子はカットした。
 次いで、習った鈴木教本2の途中から、始めた。現在は3をやっている。
その後は、自分の弾きたい曲の練習だ。それは難しいので、ごく少しずつ
だ。次はカイザー教本だ。1からだ。次にセブシックだ。これも3小節のみ。
指が早く動く練習だ。新たにマスターしたいヴィブラートの練習だ。
 以前に購入した本に従って、楽器を持たず、練習。ついで弓を使用せず、
トレーニングだ。仕事がない日はこれで1時間。
 最近は1時間半近くすることもある。小分けに少しずつ行うのが大事だと
思う。

 製作は1時間半ほどだ。
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「生と死」について考える


 最近、身内(義母)が亡くなり、生と死について考えてみた。TVで「死」について
特集をやっていた。人間の死というのは、心臓がとまり、瞳孔の異状、呼吸の
とまりなど、3項目で判断するようだ。
 だが、脳死にあたる瞳孔の異状、ははっきりしないところがあるという。脳機
能が上昇することがあるという。よく死からの帰還者が、お花畑を見たとかいう
話があるので、その時は頭の中で映像を見ておるのかも知れない。
 体が冷たくなっているのを触ると本当になくなっているのだと、感じる。

 寿命を考える場合、遺伝子の先にある「テロメア」が細胞分裂毎に、短く
なり、それが人間の老化になるという。では、細胞を薬品で再生させて、
短くなるのを防止すると、細胞がガン化するのだという。ともあれ、
これで、永久に生命を伸ばすことは禁じられていると設計されていると
考えるほかはないらしい。
 以前、IT業界の大立者から、テロメアの分裂を防止するものが発明され
ると聞いたこちがあるが、どうなるのだろう。

 私は死ぬことは体を脱ぎ去り、別世界に行くと思っているので、死に
対する恐怖はない。輪廻論者である。生まれ替わりを信じる人は少な
からず存在する。芸術家にもいる。確か、ヘルベルト・フォン・カラヤン
もそうだった。
 芸術が神の信仰のために、捧げられることは多い。ヨハン・セバスチ
アン・バッハをはじめとして、ルネッサンスの巨匠達もそうだった。

 私もどうも戦国時代の武田家に縁があったようである。裏切らなかった
方だが、裏切った方とのカルマを解くため、中部地方に生まれかわったが、
残念ながら、今世では解けなかった。来世以降になるだろう。
 また、平安時代後期から鎌倉時代にも生を受けていたようだ。その頃は
女性だったようだ。土御門上皇をめぐる関係者だったようである。
 この前の生はイギリスで先生を生活のため、やっていたそうだ。アカシャ
リーディングの出来る人に見てもらった。その前は欧州の小高い丘の協会
の司祭だそうだ。ぶどう園も経営していて、それなりに豊だったようだ。
その場所はイタリアだと思っている。いまのバイオリンへの関与からすと
そうなる。

 私は隠れた生まれ変わりの研究者でもある。たしかめるすべはないが、
所説を見るとおもしろい。安倍前首相は大伴家持、北条時頼、桂小五郎
という説がある。政治家は武将が多い。小沢一郎は伊達政宗、宮沢喜一
は菅原道真、菅首相は大石内蔵助のようだ。雅子皇后陛下はイギリスの
ビクトリア女王、愛子さまは薩摩の名君、島津斉彬、イギリスの王様だった
こともあるという。聖徳大使も宗教家に生まれ変わっておられる。いろいろ
面白い。ただ正しいかどうかは確かめるすべはない。

 人間というのはPCで考えると肉体がPCの機器なのであろう。中に入って
いるソフトが心なのだろう。新しい肉体で心(とは言っても通常は過去の記憶
は消されている)が宿り、新しい人生が始まるのであろう。その心のバイブ
レーションがアカシックレコードに保存されているのだろう。

私のバイオリン製作遍歴(その2)

 私が50歳になった時、バイオリン演奏を習おうと思った。60歳からでは遅すぎると感じたからだ。最初から製作をしようと思ったわけではない。
 バイオリンを習っている過程で、様々な本を読んでいるうちに、製作もしてみようという気持ちになったのだろうと思う。300年近くになろうというのに、ストラディバリウスを超える楽器はないとか、ニスに秘密があるようだが、解明されていないとかである。
 最初の頃、読んだ本は佐々木庸一氏の「魔のヴァイオリン」「ヴァイオリンの魅力と謎」などである。バイオリンの練習を習いながら、会社の出張もあったので、バイオリン製作の工房を訪れるようになった。最初の頃は大阪府の高槻市にあった岩井孝夫氏の工房である。(私自身、のちに大阪の本社に転勤もした。)後に氏は関西弦楽器製作者協会を立ち上げ、初代会長に就任した。
岩井工房より、何枚かの製作に使う板を購入した。また、その後、5万円近くした「バイオリン製作全集」の動画を購入したので、製作の願望もあったのだろう。後でわかったことだが、日本バイオリン製作研究会の菊田浩氏がクレモナに渡る前に、このビデオで勉強していたことを知った。同じく入会予定の栗林守夫氏も同じビデオを購入して勉強していた。
 私自身、現在、日本バイオリン製作研究会会員に属しているが、後で調べていたら、2004年第2回作品展示会に
行っていた。その時のプログラムが残っていた。
 現代のバイオリン製作者を知ったのは、バイオリンをヤマハ音楽教室で習い始めて、半年後ぐらいでイタリア人製作者の楽器を購入した時である。横浜の長峯五幸氏より、
その頃の作家プロフィールを載せた小冊誌をいただいた時である。(続く)

私がバイオリン製作を始めた頃(1)

自分を東洋占星術で見ると、運命の主たる宿命は祖霊を祭る宗教的な星である。だが、小学校の文集には、レオナルド・ダ・ビンチのような画家になりたいと書いた記憶がある。高校・大学と美術部に属し、絵を勉強していた。大学では、教育学部に潜り込んで、石膏デッサンなどしていた。
就職しても、大阪の茨木市で1年は美術研究所に通っていた。
  しかし、運命の赴くままに、宗教に出会い、長い宗教遍歴をすることになる。では、なぜ音楽にいそしむようになったのだろうか?50才になった頃、5千円の安いバイオリンを入手する機会に恵まれた。60才からでは遅すぎるだろうと思い、50才からヤマハ音楽教室に通い始めた。
           
 なぜ、音楽を始めたのだろうか?若い頃は美術をやろうと思っていたが、音楽はとても、難しいだろうと考えていたので、触れなかった。實はその2~3年前に自分の持っている星の差し替えの宗教的機会を受けていた。多分、その時に音楽の星を授かったのだろうと考えている。
 名古屋に移住してから、無料のコンサートを聞く機会に恵まれたこともおおいに影響があっただろう。愛知県に転勤した頃に、レナード・バーンスタインのニューヨーク・フィルとムラビンスキーのレニングラード・フィルは聞いたことがあるので、音楽鑑賞は好きだった。

 バイオリンを練習するようになると、いろいろな本を読んでいると、当然ストラディバリウスの再現は出来ていない。
その秘密はニスにあるらしいという説に触れることになる。そのニスはまだ解明されていないらしい事を知る。
 邪馬台国論争のように、専門家も素人もその場所がどこかについて論争に参加できるように、ニス論争に参加したくなったのだろう。60才になってから、本格的にその製作を東京の代官山音楽院の日曜クラスに入学して、学び始めた
(続く)。

バイオリン学校の新設

syosarta2014

ヴァイオリン製作学校たくみ https://t.co/8LIqfWaoEV
05-01 07:46

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